トッティ@不動産鑑定士
極貧時代
兵庫の片田舎で育った、生粋の田舎もの。
学生時代は、地味な理系でパッとしない人。成績は中の中。
高2で「阪神淡路大震災」を経験する。
コミュ障なのに、広告代理店の「営業職」で内定をもらってしまい、入社の直前に「やっぱり辞めさせてください!」と泣きながら辞退。
「超就職氷河期」に人生をドロップアウトし、あてもなく東京へ。このとき22歳。
最初の東京暮らしは目黒。無職。
狭いワンルームで、質素で寂しい極貧生活をスタートさせる。
迷走時代
何を血迷ったのか、現代アートの巨匠に弟子入りしたが、才能が1ミリもなかったので、気づけばホームページ制作担当になっていた。
結局、アーティストでは食べていけるはずがなく、挫折。
貯金もなくなり、死にかけたので、ゼロから就職活動をして、一般企業へ。このとき23歳。
エンジニア時代
大学時代はプログラミングを学んだため(決して成績優秀でなかったことは、強調しておきたい)、三大財閥の電機メーカー系に「エンジニア」として就職。
「海外向けの大規模な基幹業務システム」を、ゴリゴリ開発する。
しかし、当時のエンジニアは超激務。パワハラ上司の下で、精神を病む人や、勤務中に倒れる人も本当にいた。
ときには慣れない仕事も任され、毎日、夜遅く暗い部屋に帰ると、本当に寒くて、一人で夕食を食べ、寂しくて不安な日々が続いた。
田舎者なので、東京暮らしには馴染めず、友達もできず、さらに激務も重なり、心身ともに消耗していった。
「あと何十年もこの生活は続けられない・・・」と、5年間勤務した頃、転職を決意する。このとき28歳。
勉強に打ち込んだ時代
このころから「投資」や「経済的自由」に興味を持ち始める(今思えば、現実から逃げたかっただけかもしれない)。
堅実な現物資産である不動産に惹かれ、貯金500万円を元手に、エンジニアとは全く異業種の国家資格「不動産鑑定士」を目指す。
1年半の間、狂ったように勉強に打ち込み、試験に合格、不動産鑑定士となる。貯金は学費と生活費で消えた。このとき31歳。
その後、リーマンショック直後の混乱の中、運よく不動産鑑定を行っている研究機関に就職(OwnersBook岩野社長らの不動産鑑定士は、同門です)。
主に「投資用不動産」の評価を担当する。
サラリーマン時代
お金のない、不安な生活が続いた20代から30代初期。
そんな中でも少しずつ知り合いが増え、友達ができ、新しい仕事にも少しずつ慣れ、人より数年遅れて、ようやく生活が軌道に乗り始めた頃、転勤先の地方都市で妻と出会い、結婚。
2年間にわたる不妊治療の末、最終的に「顕微授精」で子供も授かる。夫婦共に実家は遠く離れているが、新しい「家族」が2人の心の拠り所になる。
やっとつかんだ心の平穏。このまま一生、サラリーマンでいることも考える。
ただ、大手企業に依存し続ける人生に疑問が生じ始めた。「この先、ずっとこのままでいいのか?」というモヤモヤが芽生えだした。
すでにアラフォー。子供もいる。葛藤はあったが、「自分のやりたいように生きる」ことに決める。
不動産の研究機関に10年間勤務の後、退職(ちなみに、会社に退職を告げても、引き留められなかった)。このとき41歳。
独立時代
2018年に不動産鑑定士として独立開業。
独立を機に、不動産の専門知識で何か発信できないかと考え、この投資ブログを始めた。
サラリーマン時代の専門は、「外資、リートなどが持つ大型収益用不動産の評価」で、鑑定人生12年間の評価実績は1,000件以上(延べ数千億円)。
独立後は、一般鑑定のほか、地価公示や地価調査、固定資産税評価、相続税路線価の評価員なども担当中。
43歳。4歳の息子と1歳の娘の父。